4/09/2024

“教授”とカート

 坂本龍一さんが旅立ってから1年が経ち、昨夜はNスペで最期の日々と題された番組が放映されていたけれど録画はまだ見ていない。ちょっと心構えしないとキツい感じかなと。
 そういえば昨日の日中に新宿でオッペンハイマーを見たのだけれど、そこの劇場は教授が映画館の音響設計に関わったという触れ込みの去年できた劇場で、ちょうど開館直後に出かけて以来約1年ぶりに行ってみたのだけれど、上映の前に教授がここの音響について語るプロモ映像が流れた。去年はかかっていなかったように思う。たぶんそれこそ今度上映されるOpusの撮影の頃あたりに収録されたのかと思われるけれど、そのやつれた姿に無理して話させたんじゃないの?みたいなかなり痛々しさを感じて、正直衝撃的なほどだった。本編のオッペンハイマーを見る前からずーんと重々しい複雑な心境になってしまったのであった。たぶん去年その映像をかけてなかったのは、まだ訃報から間もなかったし劇場側も配慮したのかしら?とか勝手に想像したりした。


 先日はニルヴァーナのカート・コバーンの没後30年でもあった。もう30年も経つなんて本当に時の流れは早い。それにあたって娘のフランシス・ビーンがインスタにコメントをアップしていた。カートが亡くなったとき、彼女は1歳。葬儀のとき、ふわふわのヒョウ柄のボアコートに包まれコートニーに抱かれていたブルーの瞳の可愛らしい赤ちゃんももう31歳だ。思えば彼女は生まれる前から両親のドラッグ問題が取り沙汰されるたび、その影響をあれこれ憶測されて、聴くに耐えないような本当にひどい誹謗中傷をタブロイド紙に書き立てられたりしたこともあった。カートが亡くなってからは養育権がらみでカートの実母とコートニーとの間で法廷で争われたり、想像もできないような葛藤や苦労もあっただろう。でもその分他人の心の痛みに深い共感をよせられるような大人になったのかもしれない。
 インスタでフランシスはカートが彼女が生まれる前、彼女に宛てて残してあった「君がこの先どんな道を歩もうと、俺がその時どうなっていようと、パパはいつだってずっと君のそばにいるよ」という手紙を紹介したあとに「彼は今も約束を守ってくれている」と記している。カートの残した歌を聞き、父親に似ているという自分の手を見るとき、ほんの少しでも彼のぬくもりをそばに感じられるんだ、と。なんだかしみじみ泣けてしまった。


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