9/11/2023

はんぼーき帰省

  ここ数年同様に妹有給の旅をアシストすべく土曜日より帰省中。普段から自分は実家マターに就業中の母電に出るぐらいしか貢献することがないし、それに比べたらなにかとストレス貯まることも多かろう妹が年に一度の慰労の旅行に出るぐらいは協力するということで。秋は繁忙期ではあるけれど、今じゃ実家にも仕事ソフトを入れたPCをおいてあるので、編集の準備など手のこんだことはともかくそれなりにできないことはないし。

 しかし、盛岡も残暑が厳しくムシムシと暑い。こんな時期にエアコン手放せないとか昔じゃ考えられん。

 たぶん、自分はここに戻ってきたら映画館に行く機会は激減するだろう。公開同時に即観たい番組もおそらくそんなに数はない、というよりまずここには早々来ないのはわかり切っているし、施設的にもそそられる場がほぼない。体験は大切にしたいけれど、環境的な影響は大だと思う。誰かと話したくなる映画は必ずあるだろうけれど、同じ空間・時間でなければならない必然性は通常の鑑賞の際にあまり感じていないし、あるとしたらそれらはすべて個人的な記憶だ。

 この街の映画館でたった独りで没入し感動に打ち震える鑑賞体験はゼロではないだろうし、それはその先まで記憶に残るものになる可能性だってある。でも、アーカイブや保税試写室で夢中になってみた映画や、目の前の大画面や自分のはるか後方で鳴っていた映写機の回る音、満員の劇場で立ち見ながらも味わった感動はもう二度と経験することはないだろうし、それらは自分の中での極上の体験であり大事な記憶だ。たぶんひとと語って分かち合えることではない。
 見知らぬ聞いたこともない古今の映画を小さなモニタで観ながら涙したことも経験に数えるなら、せめてそんな体験だけはこの先も続くよう環境整えて家で見るほうがいいと思い始めている。


 個人で頑張っている人々の活動は偉いと思うし目の付け所にも毎回感心するけれど、自分も一緒にと出ばっていくことは考えない。今は所詮よそものだし、そうでなくなる日が来たとしても口を開けば懐疑的になったり自慢話ととられるのも不本意だし。否定から入ったり大きなことを肯定的にいう人々を自分でも胡散臭く思うだけにそういうふうにはなりたくない。

 なにより映画を上映することってみんながみんなお気軽にできるほど、甘くも簡単なことでもないのにな、と心の何処かで思っていたりもする、字幕を翻訳してつけること、上映することだってお客からお金を取って見せる以上はそれなりのクオリティや対価はあるべきだと思うし。厚意だけで話を通すべきじゃないと根っこのところで思っている。ソフトを作っている側の立場の妄言かも知れないが。だからいまいち溶け込めないのかもしれない。

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