去年に引き続き八幡様のお祭り期間に戻ってこられたので、昨日は去年同様「八幡下り」という全山車が盛岡八幡宮から参道商店街をお披露目出発するという催しに出かけてきた。去年はコロナ明け初めての開催ということで山車の数も4台ほどだったと思うけど、今年はなんと10台という完全復活。おめでとうございます。
事あるごとに言っているけど、自分にとって盛岡の祭りといえば八幡様のお祭りである。自分が盛岡を離れて以降に規模大拡張され、今は市民権を得ているような8月の祭りは所詮後発。これも何度も書いてるが、元々町やら村など小さなコミュニティでは土着の盆踊りのようなさんさ踊りの催しは古くからいくつもあって今もそれぞれの地域で脈々と続いているそうだがそれはともかくとしても、そもそも、東北の他県はねぶたやら仙台七夕やら竿燈まつりに花笠音頭などなどでかい規模の夏祭りで観光客呼べてるのに、うちの県はなんもないってのはあれだから、と急遽ねじ込んだような「イベント」でしょ、今の某ってば。その企画をここまでデカくして成功させたイベンターは大したもんだとは思うが、どうも胡散臭さがいまだ先に立つ。
ネイティブモリオカンとしてその心の髄まで染み入っているのは八幡宮祭の太鼓のリズムと「あ、ヤーレヤーレ…」の掛け声なのだ。けっして「チョイワヤッセ〜」などほにゃれれした掛け声にくねっとシナ作るようなミスなんたらが登場するような祭りではなーい!
…と、またあちらを散々ディスってしまったけれど、
八幡様の秋祭りの山車運行は自分が物心ついた頃からの大イベントであり憧れだった。まだ盛岡に住む前の小学校に上がる前(ってことで正しくはネイティブモリオカンではない自分であるが)、市内の古くからある下町にあった親戚の家の前を、竹竿で電線かき分けて巨大な木製の車輪をキイキイきしませながら、太鼓と掛け声とともに進んでいく大っきな山車をわくわくと眺めるのが大好きだった。それに法被姿で朝っぱらから酒のんで顔赤らめながら音頭の名調子を聞かせるおじいちゃんたちがかっこよかった。そしてそういうおじちゃんたちはめっちゃキラキラと目を輝かせていた田舎の子の自分をかまってくれたしかわいがってもくれた。そんな祭りはどんなにか楽しかったろう。(魚屋さんだった親戚の家で昼間っからごちそう食べられるのも楽しみだった)。
盛岡の小学校に入ってからは、秋のお祭りの季節になると八幡町などなど町中に住んでるような男の子たちはみんな太鼓の練習とかで学校を早退したり、もちろん祭りの本番のときは3,4日間も休んでるのが羨ましいなと思っていたけど、なにより自分も太鼓を叩いてみたかった、とても。今は、結構前面の小太鼓も女の子が普通に叩いているし、見返し(背面)にはバッチリきまった粋な女性たちが大太鼓叩いている姿も珍しくなくなったけど、本当に当時はそんなに女の子たちの参加者はあんまりいなくて、いいなーとひたすら思うだけだった。そんな憧れはここに住んでいる間ずっと持っていた。
今では昔に比べたら山車の大きさも随分小さくなって、目抜き通りのアーケードくぐって歩けるようなコンパクトさではあるし、街中の道路を引かれて歩いてる様も直ぐ側を車がガンガン通っていったたり、ちょっと申し訳無さそうな遠慮がちな雰囲気にみえて、そして盛岡の祭りといえば、の看板を某8月の祭りに持ってかれたような(←まだいうか)、なんとも言えない寂しさを感じるのだけれど、
それでもやっぱり自分の心のど真ん中にある盛岡の祭りといえば9月の「八幡宮例大祭」しかないのである。