9/21/2024

さえずり23

 むしむしと暑い日が続くなか、仕事だけは秋モード突入。もう9月も後半だしねえ。盛岡から帰ってきたのも遠い昔のようである。今からこぼすのもなんだが、すでにツラし。今年はいつまで続くやら… 健全な心だけは保ちたいものだ。

 なのでSNSは控えめに。


 能登の水害があまりにひどすぎる。大規模な自然災害が起こるのは異常気象や変動も相まってある程度は致し方ないのかもしれないが(にしても神様はひどすぎる)、そういった被害が最低限に留められるようなことはどんな手を打ってでもすべきではなかったか、行政。ってか国。なぜ地震から半年以上も経っても、未だ崩れたままの家が放置されたままやら水道復旧にこんなに時間がかかっていたのだ?とずっと不思議だったのだけど、本当に何考えてるのだろう。本当に棄民政策、人災ではないか、これでは(怒)。
 現地の方がこれ以上つらい思いをしなくていいよう、祈ることしかできないのが心苦しいのだが、なにか少しでもできることを探したい…。

9/13/2024

ケンさんのこと

 高校時代の思い出の存在に「ケンさん」がいる。その昔、地元のアマチュアバンドの対バンイベントに出かけたとき、出演者に「アニマルケン・バンド」なるふざけたネーミングのバンドがいた。そこの忌野清志郎ばりのメイクに真っ赤なシースルー衣装と網タイツ姿という強インパクトで、イカしたロケンローを披露したヴォーカルが「アニマルケン」ことケンさんだった。
 ライブを見たあとロビーでおしゃべりさせてもらって以来、あたしはケンさんがマスターをしていた「ティンカーベル」という喫茶店に入り浸るようになった。高1後半か高2ぐらいの頃だ。同じクラスの音楽好きの友だちと一緒だったり独りだったり、休日にはたまに妹とケーキを食べに行ったりもした。
 今から思えばコーヒー1杯で2,3時間も粘ってたなんて迷惑な客だったろうけど、おしゃべりに付き合ってくれたり、適度に放っておいてくれたりと「いていい場所」を作ってもらえたことがなによりも嬉しかった。

 高校卒業後から東京で進学したあたしは同じような趣味の友だちができて、帰省するのは年に1、2度と激減していった。ケンさんはやがてティンカーベルを閉めて St. Beamsってバーをオープンした。そこに行ったのは4、5回ぐらいじゃないかと思う。お店で注文したのはコーヒーとケーキからバーボンとつまみに代わっていた。最後に会った頃のケンさんは小説を書き始めていて、なにか賞に応募するみたいなことを話していた。近況報告をすると相変わらずニコニコしながら話を聞いてくれて「俺も負けないようにがんばらなきゃ」って言ってた。しばらく経ったある冬、久しぶりにBeamsを訪ねると、すでにお店は閉店していてドアにはかなり時間が経ったような新しいお店の場所を記した張り紙があった。でもなんとなく気後れしたのもあり、そこへ出かけることは一度もなかった。

 そうこうして何年もたったあと「ケンさんどうしているだろうか?」とふと思い、ネットで検索したものの信用に足るような情報は得られなかった。ブログやSNSなんてなかった時代のこと、ネット掲示板で「知ってる人はいますか?」と書き込んだところ「亡くなった」というレスに動揺したり、かと思えば「自転車でどこそこ方面に移動している姿を見かけた」という目撃情報にほっとしたり、確かなことはわからないままだった。実際自分はあまりにも盛岡に帰ってきていなかったので昔の知人とのつながりはほぼゼロになっていたし、その後SNSの時代になってから学生の頃ティンカーベルに通っていたという人々とも知り合えたけれど、その後のケンさんの消息を知っている人はいなかった。今から15〜20年近くも前のことだ。

 今年の夏、盛岡のローカル情報誌に載ったかつてのモリオカバンドシーンのことをまとめた記事に「ティンカーベル」の名前を見つけたとき「今度こそちゃんと探したい」って、かつてないほどに強く思った。そしてしばらくの間 集中して検索に検索をしまくった。その結果、ケンさんから最後のお店を任された方がいることと、その方が現在は盛岡から少し離れた紫波で新たに飲食店を開いているという情報をようやく見つけ出せた。
 偶然なことにこの帰省中、紫波へ行く用事があったので、意を決してそこのお店へ食べにいってみた。ほとんど突撃である(苦笑)。

 そうして「ケンさんは自分の師匠です」っておっしゃる店主さんから話をうかがえた。お店を譲られた経緯のこと、ケンさんは新聞かなにかに連載をもっていたなど文筆活動にも励んでいたこと、それから、しばらくの間病気を患っていたことなど。あたしが知らなかった話をいろいろ教えてくれた。「あの方は天才でした」ってしみじみ語る店主さんは、自分の突然の訪問に嫌な顔もせず、とてもとても丁寧にお話を聞かせてくださった。柔らかい物腰や笑顔がどことなくケンさんを思い出させるような方だった。

 ケンさんの眠っている場所をざっくりと聞けたので、なんとなく目星をつけてその翌日いってみたところ、見つけてしまった。お母様と一緒に名前が石に刻んであった。やっぱりほんとにいなくなっちゃったんだ、と思うのよりもどちらかといえば「やっと、やーっと会えたね」って思いのほうが大きかった。
 旅立ったのは最初に訃報の噂を耳にしてそう遠くない頃だったのかもしれない。にしても48歳という年齢、あまりに若すぎると愕然とした。どうしよう、ケンさん、あたしとっくにケンさんの年を追い越してしまったよ。

 話したいことは山ほどたくさんあるけれど、今度からいつでも会いに来るねってそこを後にした。


と、思い出のひと区切りの記録。
なんか、これで思い残すことないかも、って気分になった、ほんとに。

ただ、今でも十分ではあるのだけれどさらに欲をいうならば
ケンさんの幼馴染で、バンド時代には捧げる歌も作られた
元「らいむらいと」マスターの「アキちゃん」が見つかったなら、
本当に思い残すことはないな。

アキちゃん、もしくはアキちゃんのお知り合いの方
もしここを見つけたら連絡をください、なんてね。


とても私的な記録ゆえ申し訳ないけど
でももしかしたら、わたしみたいにネットで探してる人もいるかもしれないから
こうして書いときます。そのうち非公開にするかもしれないけど。
お目汚し失礼しました

9/08/2024

秋の帰省

 金曜より帰省中である。しかし1週間前には貫徹明けの職場で冷や汗かいていたのが遠い昔のようだ。やるときゃやる大先生。ってか結局ヤバい案件もなんとか間に合って…というか力技で合わせてしまうので悪循環ではあるのだが。しかしこっちが光の速さで作業を挽回してもその先でドタバタが発生するのも恒例で、また冬作業が思いやられる。今年の冬は心穏やかでいられるのだろうか…。

 実家は相変わらずなのだけど、ここしばらく前からの父のこちらに対する依存度の高まりが地味にキツい。入院以降体力が落ちてるのはそのとおりだと思うのでしょうがないといえばそうなんだが、「お前がこっちに戻ってきたらー」といわれて「まだ定年まで*年あるんですけど」と返すと真剣に落ち込んでるのがやめろーとか思うわけで。でもって母は「そんなに誰かに面倒見てもらいたいなら施設にでも入れ」とか言っちゃうし。困ったもんだ。

9/02/2024

さえずり22

・久々に職場貫徹あけ。もーこの年になってまで何やっとんじゃしかでてこないけど、両端に大先生の間でいいようにくるくる翻弄されるのもここのところめったにない体験。ひたすら待ち続ける忍耐作業後の結果帳尻合わせ大車輪稼働に、最初のうちは体力あってもやっぱ持続耐久能力が衰えているのは否めない。。。くたびれ果てたところに大雨で足止め後15時前に帰宅、ヤケで途中買い込んだビッグマックとなんたらハワイをガツガツ食べたあと電池が切れて寝落ち。雷の音で22時頃目がさめハッとしてメールチェックしたら、朝ってか昼に提出したブツのチェックが5時間も前に豪速球で戻ってきてた。すごすぎる。台風でヒマだったのだろうか、大先生。というわけで慌ててもう片方の大先生に投げ返す。これでやっと心労の日々から開放されるのだろーか? そしたら心置きなく週末前に恒例・秋の実家アテンドで帰省の予定。

・しかし、この毎日もやもやジトジトと蒸し暑く大雨三昧の日々はいつ終わるのだろう。もう雨も暑さも飽きた。ってかこの台風、なに一体。

・津々浦々の方々のツィートによればお米不足は全国にじわじわ広がっているらしい。とはいってもお惣菜弁当類はまだあるし心配はそんなにはしていない。でもこの天候の悪さではこの先の野菜・お米事情はもっと深刻になるんじゃなかろうか。冷食用意できるように冷凍庫の中身をあけとくことにする。

続まっただなか

 まだまだ秋の大波継続中。明日から本番が始まるので現場組は今日から会場近くへ泊まり込み、ってことで我が家は独りお留守番。ああ、ぺっちぃがいたならなあ。といつものことながら思っても、やっぱり自分も残業体制は続くし、気にかけながら仕事をしたり、ほっとかれるPこもかわいそうなのでこれで...