先日の3連休の中日、映画をはしごしようと思って1本目が終わった後にスマホを立ち上げたら母から着信があった。また暇つぶしの電話なのかよーと折り返したところ「父があぶない」という。びっくり。
前日の朝、前に手術を受けた大病院に搬送されて入院になったのは書いたとおりだけど、そんな急に悪化するもの? 妹は病院に呼ばれていって戻っておらず、母が「すぐに帰ってきた方がいい」というので、とりあえず家に戻って喪服の準備なのか?と迷いながらも縁起でもないし「何かあったら連絡するから実家に送って」と同居人に伝言して、その足で新幹線に乗り盛岡に直帰した。
車内で妹と連絡が取れてやりとりするなか、見せられた主治医からの見解プリントには「最悪今日明日にもお看取りの可能性も」と書いてあり、症状を改善するには人工呼吸器をつける必要があって、早期に改善しない場合には喉切開して気道を確保しそのまま半永久的に人工呼吸器をつけ続ける生活が云々と。 ご家族で話し合ってどうするか決めてくださいということだったのだけれど、「今夜にもお看取りかも!」ときて「どうするか決めろ」って言われてもねぇと我々しばし固まり、帰宅した部屋で妹と二人しばらく酒を飲む。ひょっとして連絡が来るのかなあ、あーあとドンヨリしながら床につき、結局その晩病院からの連絡はなかった。
翌日恐る恐るICUに様子を見に行くと、体内の二酸化炭素の数値はまだ平均値よりは大分高いけれど下がってきていると看護師さんに言われて、ひとまず即お看取りの危機は少し回避されたらしい。というわけでわたしはいったん東京に戻ることにした。さらなる翌日に入院手続きで出かけてきた妹がいうには、父は酸素マスクもとれて鼻チューブになっていたとのことで、あの状態から復活するとは………とまたびっくりしたと。
そんなわけで激動の3連休を過ごした我々(というか父)ではあったけれど、そんな実家のてんやわんやにより自分もやっぱり予定を早めて週末からしばらく帰省することにした。というのも結局母、何もしないし。決して動けないわけではないのに、やる気がないだけなのかなんなのかわからんが、あれでは妹が潰れてしまう。春とともに母の気力が戻ってくるのかは分からないけれど、とりあえず来週には介護ケア関係の面接があるとのことで、父が戻る前になにかしらの道筋がつくことを願っている。
わたしはといえば正月に散々母より「あんたは今年八方塞がり」と脅されたので、父の見舞い帰りに妹と八幡様に寄り道して、八方塞がり用のお守りをもらってきた。しかも運勢表によればどうやら同居人も厄年らしい。ひでーな。お詣り行かねば。
すでに詣でたわたくしめには1日も早く御利益ありますように。
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